仕事について

小・中学生のころの自分を振り返ると、真面目すぎるほど真面目な生徒だったなと思う。具体的なエピソードはこっぱずかしいのであまり書きたくないが、例えば宿題でもない国語のワークを授業前に予習してきて先生に褒められたりしていた。今では考えられない。

中学2年のときに選挙で選ばれて生徒会の副会長になった。いわゆる真面目な優等生だったので、ある意味当然の流れである。挨拶運動とか、行事運営の手伝いとか、普通の中学校の生徒会がよくやるようなことを役員で協力してやっていた。中2の3月に震災が起こり、すぐに駅前で募金活動をしたりもした。

その頃から、「仕事するの好きかも」と思っていた。誰かのために働くと、確実にその人から感謝される。自分の存在が認められたように思う。仕事のために校内を忙しく歩き回っているとき、なんとなく自分がエライ存在に思えて嬉しかった。

高校時代はいろいろと特殊だったので飛ばすとして、1年の浪人生活を経て、大学生になった私はやっぱりなんだかんだいろんな場で忙しく働いている。なんだかんだ仕事をしてしまうのは「好きだから」なのだろうか。よくわからない。

仕事をするモチベーションとして「周りの人の役に立つことで認められたいから」ということがあるのだとしたら、それは極めて普通の欲望だ。マズローの欲求のピラミッドのアレだ。倫理で勉強した。

確かに中学生のころは「認められたい」と思って働いていた気もするが、今はそうでもない気がする。そもそも誰かに認められたいと思いながら生きてるんだろうか私は。まあ多少は思ってるんだろうけど、その承認欲求の上にいろんなものが降り積もった結果よくわかんなくなってる気がする。例えば責任感とか。自己愛とか。怠けたいと思う気持ちとか。

仕事をすることで他人に認められるかどうかという問題は置いといて、とりあえず自分自身で「自分はこの仕事が出来る程度には価値のある人間だ」って認識できるのが良いんだろうな、多分。自分の価値とかいうフワフワした概念を手近に実感できる手段なのだ。仕事とはつまりアイデンティティなのかもしれない。アイデンティティが仕事に寄っかかってる、とも言える。

社会人になったら膨大な仕事に殺されるのかもしれないが、とりあえず学生のご身分の今は、仕事に生かされてると思う。仕事がなければ毎日家から出られず今ごろ社会的に死んでいると思う。マジで。

ありがとう仕事。これからもほどほどに、よろしく。